大塚城

別名− 付近住所 三木市別所町朝日ヶ丘 現在−
2005/5/19 碑・案内板アリ


この付城は、三木城を兵糧攻めにするため築かれた30余リの付城の一つで、絵図「三木城地図」に描かれています。曲輪は主郭のみで、櫓台を中心に配し、その周囲を十字の形に土塁で囲み、南西に虎口(出入り口)を設けています。曲輪の広さは約3600uで、古墳が所在する周囲を含めると約6500uが残っています。土塁が十字形に張り出しているのは、正面だけでなく側面からも攻撃できるように意識し築いたもので、これを横矢掛りと呼んでいます。櫓台は一辺約20mの隅丸方形を呈する高さ約5mを測る規模で、周囲に古墳(塚)が点在することから、古墳群中最も大きい古墳を利用して築かれたものと考えられています。このことからこの付城を「大塚」の名称を用いて「大塚城」と呼んでいます。なお、この付城を守った武将については、残念ながら分かっていません。